本日でセガのメガドライブが29周年を迎えます!おめでとうございます!
画像は個人的に所有しているソフト群。
同じ画像を何度も使い回して申し訳ないですが(汗)、ここ数年メガドライブに触れてないのですみません。だって起動が面倒なんだもの、特にスーパー32Xとか(爆)
メガドライブの思い出については過去に何度も触れているのでここではあまり語らないけれど、自分のゲーム人生でかなり影響を与えたゲーム機でもあるので思い入れはかなり強い。当時はなかなかソフトが出ないので店頭で少しでも興味持ったソフトを見かけたら買って、そしてしばらくしてセガの広報を担当した竹崎忠氏がメガドライブソフトを個人で全部持っていると聞いて、その影響で自分も全部揃えようと思ったのですが今思っても無謀ですよね。しかもこの時代はすでにセガの前機種であるセガマークIIIの市場がほぼ消滅してたので(レトロゲームが再評価される前の話だったのでゲームショップでは中古でもなかった)、メガドラが市場から消える前の現役のうちになんとか集めようと必死でした。当時の自分は16歳ぐらいだったかな?(笑)
裏を返せば当時はまだ高校生だったので住民税も雇用保険も社保も発生しないし、当然家賃や光熱費などもなければ車も持ってないし、現在毎月2万ほど掛かるスマホの存在さえなかった太古の時代なので、額面通りのお金がそのままゲームに注ぎ込めたのが大きかったんだと、社会人になった今にしてみればそう思います。おかげで高校在学時で大半のメガドラソフトを揃えることができました。月に最高で50本ぐらい買ってた時期もあったと思います(さすがにこの時期はお年玉を駆使してだけど)。これが今の高騰した相場だったらフェアレディZのS30ぐらい余裕で買えたと思いますが、当時の自分はどんなに金があってもメガドラのこと以外考えられなかった(笑)
なお出荷時期によるバージョン違い探しもこの時期にやっていて、中学生時代から探していた『ザ・スーパー忍』(セガ)の発見方法は18歳の時に見つけたんだけれど(パッケージ裏のMADE IN JAPANの表記の有無で判別)、その時からバージョン違いの為に同じソフトを買い漁っていて、だいたいの時期辺りから意識して同じソフトを複数買いしたんだと思います(高校卒業時点でソダンを6本所有とか)。同じく同時期にバージョン違いの噂を聞きつけた『アドバンスド大戦略 ドイツ電撃作戦』(セガ)とかも決して安くない中古価格で何本も買ったりとか(笑)
…ちなみに『獣王記』(セガ)からのメガドラユーザーだった現職場の同僚も、なかなか当時はソフトが出なかったから出るソフトは仕方なく買ってたようで(ゲーセンでは全くやってなかったスーパーハングオンも月に2本出るかどうかの時期だったから仕方なく買っちゃったと言ってたしw)、当時のユーザーはゲームコレクターじゃなくても大半のソフトを持っているのはデフォなんだろうな…きっと。そしてその同僚のメガドラソフトは自分が引き継いだのであれだけソフトがダブって持っているという…引き継がなくてもダブってますが(汗)
ここまで書くと単なるコレクター話になってしまうけれど、当然ゲームもやっていて、当時はまだパワーがあったのでゲームアーツやトレジャーの名作群はもちろんのこと、ユーザーの間ではクソゲーと言われた『ソードオブソダン』『おそ松くん はちゃめちゃ劇場』(共にセガ)や『邪神ドラクソス』(EAビクター)や、極悪なバランスを誇るRPG『魔天の創滅』(講談社総研)までクリアするほど、今の自分には考えられないぐらい充実しまくったメガドラライフを過ごしてました(田舎だったので他にやることがなかったともいうw)。他にも『幽☆遊☆白書 魔強統一戦』『コラムスIII』『パーティクイズメガQ』はみんなで集まって多人数対戦したり、今までハマったことがなかったスポーツゲームも『レッスルボール』(ナムコ)をきっかけにプレイするようになったり…。
それをもってもテレネット系RPGはバランス調整やUIの洗練の無さで一部を除いて挫折しました。もっともテレネット系のゲームは全体的にやばかったけど(爆)
あと、メガドラを手に入れるのが中期の頃だったのでゲーム図書館は触れたことがないんですよね…(ゲーム図書館のカートリッジは所有)だからガチなメガドライバーから見ると自分はまだ新参者なんだろうなと思ったりもします。メガドラソフト全部持っていてさえも新参者扱いじゃメガドライバーのハードルは高すぎるけれど(笑)
さて、先日はゲームビジネスアーカイブというイベントがあって、今回はメガドライブ黄金期を彩ったセガのセカンドパーティのソニック(現キャメロット)、トレジャー、コンパイルの社長が集結。
この模様はニコ生でも配信されましたが、普通なら表に出ないロイヤルティの話を含めてここまでぶっちゃけた話、よくできたなーと思った。ある意味でセガがハードメーカーを撤退したからこそ実現できたイベントともいえそう(汗)
まずはシャイニングシリーズを代表作とするソニック(現キャメロット)高橋社長の話で興味持ったのがメガドライブ本体の日本での普及台数。ソニックのデビュー作である『シャイニング&ザ・ダクネス』が発売された1991年
その頃メガドライブは180万台売れていると高橋社長が聞いてたみたいだけれど、後から聞いた話その半数以上はアジアに出荷されて、実際に日本では60~70万台しか売れてなかったらしい(汗)
しかしながら『シャイニング&ザ・ダクネス』は30万本売れたようで、実に当時のユーザーの二人に一人はシャイダクを買った計算になるので、いかに当時のメガドラユーザーがRPGを求めていたかわかるエピソードといえそう。実際に自分もドラクエスタッフが作ったという触れ込みで期待して買ったんだけれど、一人称視点に終始した演出やゲームバランスや洗練されたUIのおかげで苦手だった3DダンジョンRPGだったのに最後までノーヒントで遊べたのが好印象だった。カニを倒すまでの道中と、オートマッピング採用しているのにマップを見る手段が消費アイテムかMPを使う魔法じゃないと見れないのは当時としても辛かったけど(笑)
シャイダクの前年に発売されて大ヒットを記憶した『スーパーモナコGP』(セガ)はシャイダクの時よりも本体の普及率が少なかった時代だけれど(当たり前)、シャイダクで二人に一人売れたとしたらスーモナは…当時のF1ブームの凄まじさを思い知ります(笑)
しかし、1991年で70万台の普及率だとすると、最終的にメガドライブは日本でどれだけ売れたんだろうか?
コンパイル仁井谷社長は代表作の『ぷよぷよ』関連で
ええっと…この時期からコンパイルって資金がショートしてたんですね!
今日入金がないと会社が危険な状態のところでセガから即入金があってコンパイルが救われたらしい。『ぷよぷよ』で有名になる前はシューティングゲームメーカーとして有名だったけれど、実際は赤になるぐらい売れなかったことを思うと、この辺りからシューティングが売れなくなったんだろうなあ…。そしてコンパイルを救ったメガドラ版ぷよが30万本売れたとなれば、そりゃ出しても売れないシューティング作らずぷよ一辺倒になるよ(笑)
そして後になって任天堂から『ぷよぷよ』の独占契約の話がコンパイルへ持ち込まれたそうだけれど、当の任天堂はメガドライブに移植されていたことを知らなかったという…(爆)
先行して発売されたディスクシステム版『ぷよぷよ』(徳間書店)の企画書を任天堂に持ち込んだ時に独占契約を結めばよかったのにね(笑)
最後に『ガンスターヒーローズ』がデビュー作のトレジャー前川社長は…
・当時人気あったスーパーファミコンに参入するよりも、メガドライブで出した方が目立つと思いセガへ→アポなしでセガに行ったら30分後に役員に会えた。
・マクドナルドを作る際にマクドナルド側から色々と言われたのに腹を立てて裏技でロゴを爆発するように仕向けた(汗)
・ガンスターは初回で一万、最終的に7万本を販売(日本のみの本数)
・エイリアンソルジャーとライトクルセイダーはメガドラが終わってしまうから開発を切り上げた。
・魔強統一戦は当初オリジナル格闘で開発したけれど、これでは売れないと言われ幽☆遊☆白書のキャラに変更…。したはいいけれど、その前に発売された外伝が評判が悪くて全然売れなかった。
・ぶっちゃけガンスターとヘッディー以外はセガにとって赤字(だった?)
・セガは金は出すけれど口を出さないので神だった。
・ソーシャルゲームは一生やりません!
こんな感じだけれど、あれだけ話題になった『ガンスターヒーローズ』でもその本数ならば1993年に発売された他のソフトはどうなるんだろう…?メガドライブユーザーはアクションゲーム好きが多いと聞いたけれど、シャイダクやぷよぷよとの販売本数の差を見ると、これからはメガドラユーザーの趣向の認識を改める必要があるのかも知れない。逆に海外のメガドラ(GENESIS)ユーザーはアクションゲーム好きが多かったようで、ガンスターは向こうでは20万本売れ、むしろトレジャーはそんな海外のファンに支えられたんじゃないかなと思います。
まああの頃(次世代機ブームになる直前)の日本のゲーム市場はRPGとパズルとサッカーと格闘とF1が流行ってた時代だから仕方ないのかも知れないですね(笑)
そんでトレジャーは来年は細々と新作を出すと前川社長が発言してましたが、主要スタッフが抜けた中でどんな作品が発売されるか期待してます。なにせ『ガイストクラッシャーガイスト』(カプコン)以来の新作、それでもってソシャゲーじゃないのだから期待しないほうが無理です。トレジャーらしい属性を取り入れたアクションとかやりたいなあ…