ナムコの創業者である中村会長が亡くなられたという訃報のアナウンスから数日が経ったので、もうすでにご存知の方が多いかと思うのでここでは多は触れませんが、中村会長のエピソードの一つとしてナムコから出すタイトルは例え外注作品であっても報告を受けたり、ゲームを見るだけではなく、きちんと自身で遊ばれた上で発売するという話を当時の関係者から聞いて、本当にゲームが好きでゲーム会社を経営してたんだなと思わされました。
多くのメーカーがゲーム事業から撤退したり、アーケードやコンシューマ事業を縮小する中で、バンダイナムコはプラットフォームにこだわらずに今でも幅広くやっている数少ない大手ゲームメーカーの一つですが、年齢・ジャンル問わず幅広い層に向けたゲーム作りを、ゲームが今より社会的地位がなかった時代から続けているのは中村会長がゲームを愛しているからなんでしょう。ゲームという文化と呼べるレベルにまで育てたのも中村会長の存在があったからといっても過言ではありません。そういった意味では任天堂の故山内氏と並ぶゲーム業界の偉人だと思います。
また、現在に至るまで80年代のナムコ黄金期のことが語られているのでここでは敢えて触れませんが、私もまた小学生時代はぶっちぎりで好きなメーカーだったので、その影響は計り知れません。幼少時代に読んだ『オールアバウトナムコ』(電波新聞社)で洗礼を受けたり、ナムコットブランドで発売されたファミコンソフトは当時から全部チェックしたり、玩具屋に置かれたナムコのフリーペーパー『NG』が発行されるたびに貰いに行ったりと、その影響力は大きく、そして…
メガドライブに『フェリオス』がなければ今の自分がいないといっても過言です。誇張抜きで。
語りだすとキリが無いのでここまでにしますが、80年代のナムコ黄金期をリアルタイムとは言わなくても、それに近い時代に多くの名作に触れることができて幸せに思います。合掌。