「1CHIPスーファミが製造された1995年にもなってスーパーファミコンを買うユーザーが限られていた」
と書いたけれど、とある方からJRA-PAT端末(電話回線を利用して馬券を購入できる)としてのニーズが高かったと言われて少し納得。
非ゲーム系ソフト(しかも通信モノ)の割には中古市場で結構見かけるし、JRA-PATのサービス終了が比較的最近の3年前の平成27年まで続いてたし、端末自体も平成16年まで販売してたのだから自分の想像よりも遥かにユーザーが多かったんでしょう。同じくファミコンでもこのサービスが行われていたけれど、ファミコンが2003年まで製造が続いていたのも懐古趣味需要だけじゃなかったんだろうなあ。
競売自体もこの頃は大ブームで、ゲームではダビスタシリーズが100万本売れたりと、従来の競馬ファンとは違った層まで人気あったし…(今の感覚だと凄いブームだったな)
ここまでJRA-PAT端末の出回りが良いのを見ると、一瞬でサービスが終了したサテラビューよりもユーザーが多かったんじゃないかと思うほどに…(汗)
そうそう、ファミコンが2003年まで製造していたことについて、この時すでに新品ソフトの供給がすでに終了していたんだけれども、ユーザーは中古でしかソフトを購入する手段がないのにも関わらず任天堂はファミコンを製造し続けていたんですよね。ゲームメーカーは中古ソフトを嫌う傾向にあるのに、任天堂は中古ソフトを黙認していたことになるんだよね。
この時、中古ショップと一部ゲームメーカーが中古ソフト裁判で争っていた時に、ゲームメーカー側に任天堂の名前がなかったのを見ると任天堂は中古ソフトに対して割りと寛大だったのかなあ…と思ったりもする。中古ゲーム&レトロゲーム専門誌『ユーズドゲームズ』(キルタイムコミュニケーション)でも、多くのゲームメーカーは取材に非協力的だったのに(と編集者がコメントしてた)対し、任天堂はわりと協力的だったと聞くし…。まあその時の任天堂はニンテンドーパワー(ゲーム書き換えサービス)が開始される直前だったので宣伝の意味を兼ねて協力的だったのかも知れないけど(笑)